NHK新潟ラジオ「朝の随想」より

第24回  失われつつあるもの


 夏も終わりだというのに、蝉の鳴き声が止む気配のない8月下旬のある日。冷たい水で手を冷やしながら、最近見かけなくなったある人を思い出します。いつも暑い中、リヤカーにもぎたてのトマトやきゅうり、茄子を積んで、「野菜はいらんかや」と近所を回ってくれた農家のおばあさんです。その家の自慢のト マトは甘くておいしいので、いつも母が一箱単位で買っていました。


 そのおいしいトマトを食べている時は気にも留めていなかったのに、いざ口に入らなくなると無性に気になります。トマトはもちろんですが、燦燦と日を受けるアスファルトに小さな陰を作りながら進むリヤカーや、日に焼けて皺だらけの手を思い出してしまいます。


 そう考えると、自分の身のまわりからいろんなものがなくなりつつあることにふと気がつきます。


 土が剥き出しの道、川のめだか、町の銭湯、おひつ、ぬかどこ、鰹節削り、七輪、国道脇の田んぼ、商店街を歩く人、日本の食糧自給率。佐渡という田舎にいてさえも、手の届くところから懐かしいものが消えていっています。

 
 そういえば、最近はトンボさえも見かけるのが稀になったような気がします。その昔、日本は「秋津島」と呼ばれていました。秋津とはトンボのこと。トンボの国からもトンボが消えているとは・・・。
正直、私は普段ゆっくりと自然を楽しむこともないですし、いつもあくせく過ごすせわしない人間です。コンビニエンスストアはよく利用しますし、便利で簡単なものには目がありません。


 なのですが、身の回りが近代的なものに覆われ、土地の色が減っていき、日本全国のどこの地方に行っても同じ田舎の風景が広がっていて、さらに田舎の風景の中から少しづつ何かが失われつつあることに気がつくと、そうそう冷静でもいられません。


 これからの子どもたちが、わらべ歌の「赤とんぼ」や「めだかの学校」を歌っても、その情景が浮かばないということ。日本昔話を読んでも、それがこの国の昔のお話だとわからないかもしれないこと。そんなことが起こるわけがない、と言い聞かせても、しかし確実に日本から日本の以前の風景はなくなっています。


 スーパーで買ってきたトマトを切りながら、またリヤカーをひいていたおばあさんを思い出します。日本の風景を失いそうになってやっと、その多くが、実は残したいものであることに気が付くのです。


2006・9・14 NHKラジオ「朝の随想」   
真野鶴醸造元・尾畑酒造株式会社
尾畑留美子