NHK新潟ラジオ「朝の随想」より

第15回  新潟の「軟水」

 

 お酒の主な成分は、言うまでもなく水です。


 米を洗うところから、仕込み用、瓶詰め用と、原料の米の重量の二十倍から三十倍の水が必要とされます。中でも仕込みに使う水は、原料になるだけではなく、発酵をうながす力も持っているため特に重要です。味、におい、濁りなどがないことはもちろんですが、それ以外にも大事な要素が求められます。
 

 その昔、兵庫県灘に湧き出た「宮水」と言われる水がもっとも有名な水でした。一八〇〇年代の半ば、そのあたりで二つの蔵を構えていた主人が、常に片方の蔵の酒が優れていることに気が付き、原因を追究していったら水の影響であることが判明。以後、土地の名を取って「宮水」と名づけたと言われています。
 

 日本一とうたわれたこの「宮水」は「硬水」、硬い水であるのに比べて、一方の新潟の水は「軟水」、軟らかい水であります。今では信じがたい話ですが、当時、新潟の水は酒造りには向かないと言われていました。
 

 この「硬い」「軟らかい」はその水のミネラルの含有量、主にカルシウムやマグネシウムの量で判断されます。これらが多いと硬水と言われるのですが、その特徴は酒の発酵が力強く盛んに進むことです。清酒の酵母を頑強に活動させて有害な菌の進入を防ぎ、安定した酒造りをもたらします。その反対に軟水は発酵が緩慢で進みにくいのが特徴です。酒蔵に冷蔵設備がない時代においては、この軟水による仕込みは危険が高く、歓迎されなかったのだそうです。


 その後時代は進み、蔵では冷蔵設備が整っていきます。一九五七年には新潟の酒米「五百万石」が誕生、それに呼応するように新潟の軟水がその実力を発揮することになったのが、一九七〇年代以降のいわゆる吟醸ブームです。


 吟醸酒とは、よりよく精米した米を低温でゆっくりと長期発酵させ、独特のフルーティな香りを醸す酒のことです。手間もかかり、出来た酒も高価なものになりますが、広く人気が出ました。


 その吟醸ブームの中で、一番注目を集めたのが新潟の酒でした。五百万石という、淡麗な味わいに適した米と、ゆっくり発酵を進ませる特徴を持つ新潟の軟水の融合。長く「酒造りに適さない」と言われ続けていた新潟の軟水の欠点が利点となり、日の目を見た瞬間でした。


 今もほとんどの蔵が、地元の仕込み水を使って酒造りに励んでいます。
 

 それは越後、佐渡の高い山々に降り積もった雪が、やがて湧水となって降りてくる自然の恵の水。
 

 このすばらしい軟水が新潟の酒の味を柔らかく、まろやかにしてきたのです。


2006・7・13 NHKラジオ「朝の随想」
真野鶴醸造元・尾畑酒造株式会社
尾畑留美子