NHK新潟ラジオ「朝の随想」より

第9回  蔵に生まれて

 

 私は佐渡の造り酒屋の次女として生まれました。女姉妹二人で、両親と祖父母の6人家族でした。小さい会社ですからみんな仕事で忙しく、幼い時日中かまってもらった記憶はあまりありません。
 

 そんな子供の頃の遊び場は、酒を造る「蔵」の中でした。夏も冬もひんやりした蔵の中で、何をするわけでもないのですが、一人であちこち探検していました。ずらりと並んだ大きなお酒のタンクや神棚。それらが、暗い空間の中で神妙な威厳を保っていて、子供心にも「神聖な場所」なんだと感じました。
 

 秋になり、蔵人たちが酒造りのために泊り込みで蔵にやってくると、早朝から酒米を蒸す音で目が覚めます。急いで起きて蔵に行くと、杜氏が蒸しあがった酒米を丸めて私にひょいと渡してくれます。杜氏がもう一つ米を丸めて自分の口に入れるのを待って、私もぱくりと口に入れます。何度味わってみても硬くておいしいものではないのですが、大事な作業に参加して偉くなったような気分になったものです。そして蔵人たちが蒸しあがった米を広げて、粉のようなものをふりかけるのを飽きもせず眺めます。この粉は、酒造りに大切な「麹菌」です。麹菌は多くは米の表面に落ち、いくらかは空中に舞い、ふわふわ飛んでいきます。蔵には「蔵付き」と呼ばれる、長い歴史の中でその蔵に住みついた蔵独特の「麹菌」や「酵母」がいると言います。酒造りの季節のたびに、そんな見えない生き物たちが、蔵の柱の陰からひょっこり顔を出してくるような気がしたものです。その麹菌や酵母の働きで、しばらくすると酒の発酵が始まり、タンクの中の表面では泡がプクプクとふくらみます。杜氏や蔵人の真剣な顔をよそに、お酒のいい香りを追いかけて蔵の中を駆け回っていました。


 中学生になった頃から、蔵に出入りすることはめっきり減り、その後上京。十年前に私が蔵に戻るまでの間には、少しずつ、会社の建物に手が加えられていきました。けれども、あの蔵はまだ昔のまま、お世辞にも使いやすいとは言えない古くて不便な蔵です。昔はあんなに大きく感じたのが嘘のように、小さな空間。でも、この蔵に一歩入ると、子供の頃と同じ空気を感じます。
 

───蔵に生まれて、
私の原風景はここにあるのだと思います。
 

2006・6・1 NHKラジオ 「朝の随想」
真野鶴醸造元・尾畑酒造株式会社
尾畑留美子