NHK新潟ラジオ「朝の随想」より

第6回  映画会社への就職


 東京の大学を卒業して、私はある映画会社に入社しました。仕事の内容はおもにアメリカ映画の配給宣伝です。


 実は私が育った佐渡には、今でもないのですが、映画館がありませんでした。映画体験というとテレビや体育館で見るだけ。毎月買う映画雑誌で、新しく封切りになる映画や、あるいはクラシック映画と呼ばれる昔の名作について知るくらいです。映画マニアというわけではなかったですが、「映画館で映画を見る」という状況に憧れていて、大学入学のために上京した際に最初にしたのも、「映画館で映画を見る」ということでした。それから四年間、たまに新作映画やクラシック映画を見るのが趣味でした。スクリーンの中の二時間、見たことのない世界にタイムスリップ出来るのがとても楽しみだったのです。


 大学四年生となった就職活動の時、ある映画会社が新社員を募集していて、そこを受けることにしました。たくさん映画会社はあるのですが、その会社が配給する映画を見ることがたまたま多かったからです。面接試験では映画館で過ごす楽しい時間や、実家の蔵元の話をした記憶があります。幸運なことに就職も決まり、新しいスーツとハイヒールで、ドキドキしながら入社の初日を迎えました。


 映画業界というのは古い歴史がありますが、雰囲気は自由闊達です。毎週毎週、新しい作品を世に出していくという仕事柄、フレッシュな感覚を持つ必要があるからでしょう。特に私の配属された宣伝部では、いろんな人が出入りしていたので、刺激を受けることも多かったのです。同時に新人時代は重さ30キロほどある映画のフィルムを運ぶこともあり、感性だけではなく体力も必要だと実感するのに時間はかかりませんでした。ほんの数日でスーツとハイヒールのOLスタイルからジーンズとスニーカーにはき替え、新人映画宣伝マンの誕生です。


 さて、会社の先輩たちにはいろんな経歴の人がいました。映画制作出身の人、映画の生き字引のような人、劇場で仕事をしていた人、大学で映画研究会にいた人。私のような、たまに映画を見ていた程度の素人は珍しかったと思います。でも、そんなことはお構いなく仕事は次々やってきます。机の中に大きな映画事典を隠し持ち、わからないことをこっそり調べながら、見よう見真似でやってみる日々でした。


 あとになって、入社試験に立ち会った社長に、「映画についてはまったくの素人であることは面接の時点でばれていたよ」、と言われ、苦笑いしてしまいましたが、こうして私の映画会社での仕事が始まったのでした。
 

2006.5.11 NHKラジオ「朝の随想」
真野鶴醸造元・尾畑酒造株式会社
尾畑留美子